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学校にいけない、会社にいけないってそんなにいけないこと? [学び]

学校にいけない、会社にいけない
ってそんなにいけないこと?

行くと心が苦しむなら、行かなくて正解。

ある集団のルールややり方が自分と合わなかったってだけのこと。

合わないってことに早く気がつけて良かったくらいだ。
力ある誰かがが決めたやり方に苦しめられているほど無駄な時間はない。

「学校にいけない」について。
学校の基本ルールは日本政府が決めている。
独裁国家でもあるまいし、このルールに従えない人はダメだというのは乱暴だ。多様な人がいるのだから、合わない人がいるのは当然。もっといろんなやり方や選択肢があっていい。アメリカのように自宅学習可とか。

「会社にいけない」について。
これも全く同じ考え方。








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取り残されてる日本 [学び]

超高齢化社会を迎える日本は
めまぐるしい世界の変化についていけず、
(変化しようとせず、)
取り残されるのでは?

すでに取り残され感あるけれど。

新しいことを始めようとする、変化をしようとする個人を育てる場も活躍する場も極端に少ないよね。

取り残された国の運命はいかに?!

なんか、なめられそうだな~




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今ほしい建物 [学び]

今は合理性ばかりが重視された、幾何学の、灰色の無味乾燥な建物ばかり。
芸術的センスあふれる、荘厳な気持ちになる、あるいは感動を与える建物がない。

過去の遺産としてみるか、物語の中でしかみることができない。

遠い存在としてながめるだけでなく、人々の憩いの場として、血のかよった建物がほしい。

日本の伝統的な美しさに包まれるような建物がほしい。


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不完全なのは誰? [育児]

こどもに「そんなんじゃ、だめだ」と怒ってしまうとき、

こんな風に怒ってしまう私こそが『そんなんじゃ、だめだ』だと感じ、

不完全な私が子育てをしていいものかと、

後ろめたい気持ちになる。
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細胞に生かされてる。 [学び]

人体の細胞について学んだとき、

私という人間の細胞が

私を生きさせるために

24時間休むことなく、働いて

必死に生きていることを知って、

感動した。


私だけの体じゃないんだ。


私の中で無数の細胞が、

絶妙な調和をもって創り上げている作品「私」

私の細胞による美しい作品「私」


簡単に死んだりできないね。

細胞たちのためにも。




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長く続く関係 [学び]

核となる価値観やら思いやら考え方が同じなら、
日常のいろいろが違っても、
信頼して長く付き合っていける。

日常のいろいろが一見同じでも、
核となる価値観やら思いやら考え方やらが違うなら、
信頼して長く付き合っていくことはできない。

だから、無理して合わせたりする必要はない。

自分の思いを大事にして。

必ず、思いを同じにする人がいる。
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幸せを感じるとき [学び]

心にじんわりひびく言葉に、出会ったとき。

心にじんわりひびく言葉を、声に出して読んだとき。


別の世界へと連れ出してくれる絵に、出合ったとき。

別の世界へと連れ出してくれる絵を、ぼーっと眺めているとき。


体のすみずみまでしみわたる音に、出合ったとき。

体のすみずみまでしみわたる音で、踊っているとき。



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美しい絵 [学び]

十人で一緒に描いた一枚の絵と

十人がそれぞれ描いた十枚の絵と

比べることなんてできない。

わかっているのは

どれも美しいということ。


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生きてると感じるとき [学び]

風で葉がこすれあう音
電車の走る音
まちゆく人の声

頬をなでる風
風に揺れる葉
柔らかな太陽の光
全身で感じずにはいられない。
ただ、今、体が心が生きているって実感したいのかもしれない。
室内にいるばかりでは、生きているのか死んでいるのかわからなくなる。


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西洋化で失った日本人の学び方 [学び]

日本人は昔から、和や協調性を大事にしてきたという。

だからといって、個を抑制し、画一的な人間が出来上がるような同調圧力の強い教育が伝統的に行われてきたとも思えない。

そもそも今のような一斉授業形式が開始されたのは明治のことだという。不平等条約の撤廃のに向けて、少しでも、欧米に近づかんと欧米の授業形式を形ばかり取り入れた結果だと。
江戸時代までは寺子屋という個別指導形式であったそうだ。こうした形ならば、現在のような同調圧力がかかることはなく、個の力を尊重して伸ばしていくこともできただろう。

長らく日本を形作ってきた教育は「みなと同じにしなさい」ではなかったはずだ。

それが、今日では協調性を教育するという名目で「みなと同じにしなさい」という。

みなと同じにしないと協調性がないなどと言われたりする。

協調性と同調性を混同している教育が行われているのではないか?

異なる能力や考えを持つプレーヤーが一つの目標に向かって各々行動するのが、協調性で、
同じ能力や考えをもつプレーヤーが一つの目標に向かって同じ行動をとるのが同調性。

今、取り戻したいのはこの寺子屋式の授業。
現在の「効率良い」一斉授業と併用という形で。

寺子屋形式、一見効率は悪いけれども、人は得意なことや好きなことをやるとき、自ら進んで取り組んでいくので、能力を伸ばしていきやすい。また、個が尊重されるので、自信をもち、精神的にも強くなる。

能力を最大限発揮している人たちが協調性を持って形作る国は強くなるだろう。


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